2011年08月01日

野菊は、可憐で儚い花だ。 −野口る理

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野菊は、可憐で儚い花だ。
しかし、矢島渚男の『野菊のうた』は、凛々しく力強い、大樹のような句集であった。



泛子(うき)投げて目をとどかする春夕べ


春の、まだ少しひんやりする夕方に、釣りをしている。しずかな水面に、鮮やかな泛子。
泛子を見ている情景を「目をとどかする」と表現している。なにかを見るというなにげない行為を、眼球を動かし視線を対象物まで持っていき認識するという意志的な行為として捉えているのだ。

自分が自分を動かし統括している。つまり、脳そのものからの視点、というのが面白い。
矢島の句は、抑制された美しさと安定感がある。読者に、暴走して爆発してしまうのではないかというような不要な心配をさせない優しさがあるのだ。


そして、矢島の句には夕方が似合う。
友達と遊ぶ楽しい昼間は終わり、友達とは別れて家路につくさみしい時間。
それでも、家族が帰ってきて集まってごはんを食べ、暗闇で眠るまでのあたたかな時間。

咲き終へて桜は山の木に還る
夕暮はたたみものして沙羅の花
滅びたる狼の色山眠る


一句目。咲き誇っていた桜の花も散り、ただの木になってしまった桜。「還る」という措辞に、労りと優しさを感じ、あたたかく救われるようだ。この句からも、さみしくあたたかな夕方のイメージを感じ取ることができる。

二句目は少し不思議な句である。内容は、太陽の照っている朝から昼間に洗濯を干して、夕方にそれを取り込んで畳む、ということであろう。それをこのように一句に仕立てるとなんだか不思議な気持ちになるのだ。夕方ではなく「夕暮」であるところが、なんともセンチメンタルであり、「沙羅の花」の清潔な白色が美しく、また、お釈迦様の話や平家物語なども思い起こさせ、家事のひとつである「たたみもの」が神聖なものに感じられるのだ。

三句目。これは冬の夕暮れ全体のイメージのようだ。もうこの世にはいない狼の色をまとった世界。三橋敏雄に「絶滅のかの狼を連れ歩く」という句もあるが、こちらは、実際の狼のかたちが見えるが、掲句は「色」しか見せていない。余計に狼への思いが募るのだろうか。「山眠る」という季語が、静かな情景をありありと描いている。




消えながら木魂は秋と思ひけむ  (悼 攝津幸彦)


上五の「消えながら」という措辞に、グッと読者を引き込む力がある。秋という季節が、切ないながらも爽やかな情感を添えている。前書きにあるようにこれは、攝津幸彦の追悼句である。まるで故人の息遣いが伝わってくるようでもある。

この句集には、他にも、司馬遼太郎、上田五千石、細見綾子、飯田龍太らへの追悼句も収録されている。筆者にとっては、もう歴史上の人物のような存在であるが、矢島は、彼らと同時代を共にし、彼らの息遣いをも一句に残している。そして、これらの句は、次の世代へも確実にその息遣いを伝えてゆくのだ。


永き日や漱石に髭子規に鬚  (『漱石のカステラ・子規ココア』の著者稔典さんへ)


同じヒゲでも生えている場所によって漢字が違うことを、丁寧に書き分けている。漱石の口髭と子規の顎鬚。永き日という季語が、仲睦まじく楽しそうな情景を見せている。前書きにあるように、こちらの句は、坪内稔典へ贈った句だ。

この句集の中で、前書きのある句は他にもたくさんあるが、前書きをつけるということには、作者が読者を誘導し、読みのぶれを軽減する効果があるだろう。追悼句にしても贈答句にしても、前書きがなくても句を楽しむことができるが、前書きがあれば情景がぶれることはない。作者の思いとともに、句を楽しむことができる。

なぜ、読者を誘導する必要があるのか。
それは、作品のためである。
前書きの有無以前のことであるが、矢島は、作品がどう読まれると最も活きるのか、ということまで緻密に計算しているように感じられる。
無論それはすべて、作者の作品に対する責任からくるものであり、そして、創作に対する信念があるからこそ、のことなのだ。




このように、作品をすみずみまで巧みに律する矢島だが、作品のモチーフとしては、自然や生死など、人間を凌駕するものが多い。

やあといふ朝日へおうと冬の海


朝日が冬の海にやあというように照らし、冬の海もおうというようにキラキラと反射させる。朝日と冬の海の交流が、寓話的で楽しく暖かである。この「やあ」も「おう」も、「朝日」と「冬の海」の言葉であって、ただ人間(作者)はそれを見ているだけだ。朝日も冬の海もこちらを相手にしていない。しかし、そのことを作者は悲しんだりはしない。ただそういうものなのだ、ということを知り、受け入れるのだ。


もちろん人間を意識させる句もある。たとえば、

弾の痕どこかにありて熊の皮
切株のまんまるな雪運べさう
草市をさすらひ人のごとく過ぐ


一句目。べたーっと開かれた熊の皮を目の前にして、大きさに圧倒されるとともに、これは人間が殺したものだということに思い至るのである。

二句目は、切株の上に載っている雪を見て、その丸さの美しさに心奪われると同時に、運べそうだななどと考えている。無邪気な句であるが、人間の支配欲を垣間見せる。

三句目。草市での情景だが、他者から見ると、きっと別に「さすらひ人」のようだなどとは思われていないだろう。ナルシシズムとは人間的なものの象徴とも言えるのではないか。


しかし、矢島の対峙すべきだと考えているものはもっと大きい。

夕立後の茹で上りたる如き街
風蘭や人もかなしくつくられし
流星やいのちはいのち生みつづけ


一句目。強い夕立のあとの街は、むしむしとしていて、たしかに「茹で」あがっているようだ。町ではなく「街」である。ビル街を作ったのは人間であるが、それを茹でてしまったように見せるのは人間ではない。都会にいても、雨という自然の前に圧倒され得るのだ。

二句目は「風蘭」の細やかな花と華やかな香りを感じさせつつ、「人もかなしくつくられし」のフレーズが力強い。だから悲しい、というのではなく、だから強く生きていこう、というメッセージを感じさせるのは「も」にあるのかもしれない。この「も」は、風蘭も人もというより、万物がかなしくつくられていて、人もそうだ、という風に読みたい。

三句目は、上五に「流星」という刹那的なものを置きつつも、永遠を感じさせる句である。一人一人の一生を超えて、「いのち」というものはあり、それがずっと続いていくのだ。


戦争がはじまる野菊たちの前
雪に足踏みかへて待つ死その他


一句目、この野菊は、人間(作者)の比喩とも読めるだろうか。可憐な野菊は、戦争を目の前にしてどうすることもできない。そもそも、どうすることもできないことを悲しんだり憤ったりする選択肢すらも持ち合わせていない。ただ、一生懸命咲くだけなのだ。

二句目。きっと、人を待っていたりバスを待っていたりするのだろう。「死その他」という下五にはっとさせられる。「死」がそもそもあってそのあとに「その他」なのだ。我々は、人やバスを待っているときでさえも常に、「死」というものがやってくるのを待っている。我々は、死ぬことにあらがうことはできない。ただ、「雪に足踏みかへ」たりしながら、待ち続けているのだ。


浮寝せん辺りの花を呼びあつめ


このような、自分の力ではあらがえないものに対し、矢島は悲しんだり逆らったりすることはない。それどころか、受け入れて楽しんでいるようである。
矢島はただただ、あらがえないものの存在を知ろうとしているのだ。あらがえないものを見据え捉える方法として、彼には俳句形式があった。そして、これからも対峙していく。


posted by ふらんす堂 at 11:25| Comment(2) | 矢島渚男句集『野菊のうた』

2011年07月28日

『トンボ消息』評 −藤田哲史

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『トンボ消息』をひもとくと、中表紙の手前に半透明の頁があらわれる。その頁には大学ノートふうのコバルト色の罫線が、水をこぼしたか何かのように滲んでいる。その滲みは、罫線の平行を乱してはいるが、汚いものではなく、むしろ、私には清らかなものに思われた。

(読み手の私には、その滲みが突然の雨によるものか、水遊びによるものか、ふざけているうち川に落ちてしまったことによるものかは明らかでない。が、そのノートの所有者だけが体験した物語がそこにはかならずあり、ノートに擬された詩集の語り部の設定が、詩人自身となっていることを読み手はそこはかとなく感じとる。)

 その詩集の清らかさの原因の一つは、この詩集の装丁の「ノート」のイメージが、「あくまでここにある詩は、たまたま詩人によって書きとめられた一つの事例にしかすぎないのだ」という一回性を強調し、読み手に出会いのよろこびを感じさせてくれることにある。ノートは、記号化された公式が記述されているテキスト(教科書)とは異なり、具体的に条件が与えられた問題をペンで解く場所だ。ノートに擬されたこの詩集は、そのノートの性質通り、記号化された次元の言葉の羅列であることを拒み、パーソナルな思考の痕跡であることを主張する。そうやってひとたび普遍性を少し欠けさせることで、この詩集は肉体の近くに詩をおびきよせ、結果として清らかな詩情を獲得したのだ。


 風も、 ここで待つには
惜しいので、
 サイドミラーを逸れ
    遠くへ消えかかる 園児の 声と、
   緑【あお】く 色づき、――
 いつか破鏡するだろう かたちの 予感 に
向かい、吹いていった


たとえば、この箇所。具体的なエピソードを起点に、より高い次元の感情の揺らぎを記述している。この詩の言葉は、はるかかなたからやってくるのではなく、「ここ」から生まれ、展開されてゆく。そのためか、この詩集には題にある「トンボ」などの昆虫はもちろん、「風」「水」などの抽象的なモチーフも含め、自然のモチーフが数多く登場する。

ここで同時に、『トンボ消息』の詩が古典のなぞり書きになっていないことにも、留意しておきたい。たしかに、その文体は、詩人の野村喜和夫氏が北原白秋の『思ひ出』を例に出すように、クラシックな印象を読み手に与えるのかもしれない。けれども、私自身は、文体自体に「クラシック」を感じはしても、描きだされたものに“郷愁”をさほど感じない。“郷愁”と断じるには、時おり現れる固有名詞(たとえば「甲府」「仙北市角館町」など)が詩の一連を統べるほどの効力を持っておらず、そのことがこの詩集から“郷愁”を抜きとっているからだ。


いつか見た甲府市立図書館の自転車置場でヘルメットを被って立ち話をしていた女生徒たちは
あの詩文を通過する虚構【せかい】をつよく求めていくのだ
いつもヘルメットのおまえたちとの関係のように屈折しながら、生きる意味を投げかけてきた
まるでこちらが生きる意味のないひとであるかのように


再び詩集のなかの一部を抜き出してみる。もし詩人が「甲府市立図書館の自転車置場」と、詳細に場所を提示しても、私は、「甲府」という特定の場所から、イメージを膨らませることはできない。おそらく、「甲府」の「市立図書館」の情感は、私の知っている地方の市立図書館の自転車置場と大きく異なることはないだろうからだ。図書館のたたずまいにしても、―おそらくモダニズムか、ポストモダニズムの様式に則った―どこにでもある公の施設のそれを想起せずにはいられない。そしてその図書館のたたずまいには、格別の地域性や、その土地が持つ歴史性はほとんど反映されていないだろう(そういえばこの詩集には「地方銀行」も登場する)。

それでは、この具体的な地名の記述は、詩のノイズでしかないのか?という問いがあれば、 答えは否。それでもやはり「甲府市立図書館の自転車置場」は、詩の中で語られなければならない。その措辞は、“郷愁”を呼び起こす昔語りではなく、今詩が語られていることを読み手に説得するための一つの手段として存在する。この詩人は、具体的なエピソードと交換可能な世界とのあわいで、「ここ」でしか起こらないスペシャルな出来事とともに、一回性を書きとめようとする意思そのものを書きとめようとした。そのための意志が、ときに理想的な言葉の調べに抗って、不完全で完全なフォルムを与えた。

言葉は、言葉だけであってはならない。詩に隷属させられるべきものだ。怖い夢を見たあとで冷や汗をかいてふるえている子供に、大人は、すかさず、何も言わず子供を抱きとめるのではないだろうか。「ここ」にいるのが一人ではないということを説得するために。私は、これもまた(言葉を使わず体を使った)詩なのではないかと思うことがある。詩情のために表現する行為としての詩があり、言葉はその一つの手段でしかない。『トンボ消息』もまた、詩情のためになされた行為=「詩」であった。


posted by ふらんす堂 at 16:58| Comment(0) | 手塚敦史詩集『トンボ消息』

2011年07月01日

ぜつめつ にんげん みんな −神野紗希

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1.

飯田橋のショッピングモールの一角に、七夕飾りを見つけた。短冊が用意してあって、誰でも願い事を書いて、笹に吊るせるようにしてある。すでに結えてある短冊には「あの人と仲良くなれますように」「イイ男になれますように」などと、他愛無い願い事が書かれていた。人の願い事を知るのは楽しい。神社で絵馬を見ているときのような気分だ。

 そんなふうに、のんびり願い事を眺めていたら、次の短冊を見つけて、一瞬たじろいだ。

「せかいがぜつめつしませんように」

筆跡から、子どもが書いたものらしい。昨今の日本や世界の情勢に、恐怖をおぼえているのだろうか。小さな子どもが、人間全体のことを考えて、まるで世界の人間のことばを代弁しているかのように、祈りをささげている。そのことに驚くと同時に、私は、「せかい」「ぜつめつ」が平仮名で書かれていることに、妙に怖さを感じた。きっと、単純に「世界」「絶滅」の漢字が分からなかっただけだろう。でも、「ぜつめつ」と平仮名で書かれたことで、なにか、本当に恐ろしいものが来るような感覚がしたのだ。

そして、その「ぜつめつ」の短冊を見て、私が思いだしたのは、奥坂まやの最新句集『妣の国』だった。

2.

山桜にんげんが来て穴を掘る
一列ににんげんが行く日の盛
ゆふざくらみんながとほりすぎてゆく


蛇笏の「をりとりてはらりとおもきすすきかな」を例に挙げるまでもなく、平仮名表記の効能は、やわらかくしなやかな印象を与えることだと思っていたのだが、どうやらそれだけでもないということが、奥坂の句を読んでの実感である。

一句目、日本古来の種である桜、山桜のもとに、人がやってきて穴を掘っている。なにを埋めるための穴だろうか。屍かもしれない、とイメージしてしまうのは、「桜」「埋める」というキーワードから、梶井基次郎の短編「桜の樹の下には」を思い出すからだろうか。

人間という単語が「にんげん」と平仮名で書かれていることで、妙な不気味さを感じる。一般的な日本人かつ成人であれば、人間のことを「にんげん」とは書かない。平仮名で書くことで、まるで「人間」という書き方を知らない者が発話しているような、そんな不思議な感覚をもつ。そもそも、人間が、人間を見て「にんげん」というだろうか。普通は、男性であるとか、女性であるとか、老人であるとか、もう少し細かい属性で表現するはずだ。穴を掘る人を「にんげん」と呼ぶ主体は、そのとき、人間の外側にいて、人間を眺めている。

 二句目、日盛の中を、人間たちが列をなして、どこかへ向かっている。街をゆくサラリーマンの姿か、学生たちの運動の様子か、軍隊か、ナチスに捕えられたユダヤ人か・・・。「一列」というところに、こんなに暑いのに、序列を崩さない(崩せない)人間たちの、業や悲哀がある。
 この句も、人間の表記は「にんげん」。「穀象の群を天より見るごとく」は三鬼の句だったが、この句の主体は、穀象を見るように、「にんげん」を見ている。あたかも、神のように。

 三句目、桜が咲く夕暮れ、家路を急ぐ人たち。夕桜のうつくしさに心を奪われて、立ち止まる人もいない。「みんな」という親しげな呼び名で呼び掛けることで、「とほりすぎてゆく」人たちを見送るのみの、主体のさみしさが増幅されている。

生きてゆくということは、「ゆふざくら」を「みんながとほりすぎてゆく」ようなものなのかもしれない、という風に、この句を象徴として読みたくなるのは、全て平仮名表記で書かれていることにも関係している。普通は漢字を使うところを、全て平仮名にすることで、日常使っている言語とは異質な感じを受け取る。どこか抽象的な次元のことを語っているように思えるのだ。


平仮名表記が怖いという感覚は、どこからくるのか。それは、その句の主体がもっている言語感覚が、私たちが日常使っている言語感覚とは異質なものであると感じるからかもしれない。なぜ、この人は「人間」と書かず「にんげん」と書くのか。平仮名にすることで、そこが異質のものに変容し、句の主体は、まるで普通の人間ではなく、ただ言葉を発音しているだけの、虚ろなもののようにも思える。

たとえば、阿部完市の「ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん」。これも「蝋燭持って皆離れてゆき謀反」と、漢字で書けるところは漢字に直せば、大きく印象は変わる。しっかり描かれた、想像歴史絵巻のようだ。しかし、平仮名で書くことで、不思議な感触が生まれる。言葉だけが、水の中にばらばらに、ぷかぷか浮いていて、なんとか関係性を保っているような、そんな危うさがあるのだ。この句を発している主体は誰なのか、それがいち人間ではなく、もっと得体の知れないもののような感じがする、平仮名表記は、そんな印象を読者にもたらすこともある。

奥坂の句は、しばしば<巫女性>を持っていると指摘されるが、たとえば「にんげん」と平仮名で書くことに表れているように、句の主体が、ときに人間離れした感覚を持っていることも、こうした指摘と関係してくるだろう。

3.

奥坂まやの句の特徴は、ひとことでいえば、その有無を言わせぬ迫力にある。彼女の句には、まるでいきなり、眼前にズイと人の顔が現れるような、圧倒される迫力がある。すでに人口に膾炙している<万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり><地下街の列柱五月来たりけり><兜虫一滴の雨命中す>などの『妣の国』以前の句も、そうだ。平明でおおぶりな詠みかたで、世界の真理や、ものの物質感を捉えている。こうした迫力の句をつくる人は、ほかにあまり見当たらない。さきほどの、平仮名の句も、「にんげん」の語が、圧倒的なインパクトをもって、頭に残る。

ことごとく髪に根のある旱かな
白き壁迫りて昼寝覚めにけり
みんな顔のつぺり月の交差点
いちじく裂く六条御息所の恋
老人が二人サボテンが二本
震災忌どーんどーんと海が鳴る


これらの句も、相当の迫力を持っている。一句目、マイクロスコープで撮られた頭皮の映像を思い出す。「ことごとく髪に根」と表現されると、頭の中に、一本一本、髪の毛が埋まっているところを想像して、ちょっと怖くなる。リアルすぎて怖いのだ。二句目、昼寝から覚めたときの、追いつめられた直後のような「はっ」とした心地。壁の色が白であることで、清潔感や、空白感も感じ取ることができる。三句目、月に照らされた人々が、みな、顔がのっぺりとして見える、というのは、なんと茫漠とした光景だろうか。さみしい。

四句目、六条御息所なら、嫉妬にいちじくも裂くだろう。いちじくのあの熟れた果実の肉感が、人の体のやわらかさを思わせて、少しグロテスクだ。五句目、老人とサボテンを並べることで、老人のがさがさ感と、サボテンの人間っぽいフォルムの両方があぶりだされる。六句目、「どーんどーん」という、シンプルなオノマトペが、ひとつひとつ、海に真向かう人の体に大きく響く。シンプルだからこそ、怖くて迫力があるという点では、こうしたオノマトペと、先に挙げた平仮名表記は、通い合うものがあるだろう。

 この第三句集で奥坂は、その迫力をもって、人の生き死にという大きなテーマに、迫っている。『妣の国』というタイトルであることも、あとがきに「三四歳で俳句を始めたとき、身ほとりの死者は九八歳で亡くなった祖母だけでした。それから今まで、藤田湘子先生、飯島晴子さんを初め、夫の父母、私の父母、親しかった友達も幾人か喪い、死者の世界がとりわけ近く思われるようになりました」とあることからも、生死に向き合う時間の中で作られた句であることがうかがえる。

若楓おほぞら死者にひらきけり
峰雲や死者に聚まる生者の手
墓守は箒と老いぬ藤の花
皺の老人皺の赤子を抱きて春
真青な夏空が首締めにくる
コンチキチンコンチキチン母が死ぬ


 一句目、「ひらきけり」が、死者への大きな弔いである。対比された若楓に、おそらく何物かが引き継がれて、「おほぞら」の下、大きく巡り巡ってゆくのだ。二句目、棺を囲む葬儀の光景を思った。峰雲の逞しさが、普遍の大きな理のようなものを体現しているようだ。六句目、祇園囃子の「コンチキチン」の繰り返しのあとに、放りだされたように置かれた「母が死ぬ」という動かしがたい事実の言葉。祭の中、にぎやかに全てが通り過ぎてゆく中で、母の死を思うとき、祭の雰囲気と自分が大きく隔たっているようにも思えるし、逆に、こういう祭の場だからこそ、死というものを傍らに感じられるのかもしれない。

 奥坂の句は、身近な人間の生死に向き合った結果、それが個々の人間のありようの描写ではなく、大きな摂理、生きるとか死ぬとかいうこと、老いるとか生まれるということ、世界を包む大きなメカニズムを捉えることへと向かっているように、私には思える。

4.
こうした生死へのまなざしは、人間ばかりへ向けられるのではない。

蟻早し蟻早しつと踏まれけり
もも色のほのと水母の生殖器
一隅の白蛾だんだん大きくなる
高熱のわれへ向日葵歌ふなり
ゆふがほはいつも待ちくたびれてゐる
秋澄むや老人象をみつめをり
黒板の屠殺頭数雲の峰
抓まんとして凍蝶を殺めけり


「つと」という言葉で閉じられる蟻の命も、「ほの」という言葉で形容される水母の生殖器も、はかなくて、しかしまた、確かに生きていた。全てのものは、生きて、また死ぬ。奥坂の句から、私がときに恐ろしさを感じるのは、生き物たちをめぐる大きなメカニズムを、目をそらさずに捉えているからだ。奥坂の句を通して、生きることや死ぬことに向き合っている。だから怖いし、だから迫力があるし、だから心に深く残る。生死は、私たちが「にんげん」である以上、もっとも大切なテーマだ。

坂道の上はかげろふみんな居る


私たちは、みんな、坂道の途中にいる。先に行った人たちも、この坂の上に、みんな居る。かげろうが立って、その姿はよく見えないけれど、ぼんやりと影が見える気もする。その影にうなずきながら、私たちは、坂の頂上につくその日まで、坂を上る。


posted by ふらんす堂 at 15:59| Comment(1) | 奥坂まや句集『妣の国』