
謎に満ちた俳人がいる、しかも大俳人である。
なんてもったいぶった出だしで初めよう、さて誰の事だと思いますか?
今回紹介させていただくのは、精選句集シリーズの後藤夜半句集『破れ傘』
なーんだ、夜半、別に知っているよ、なんて声が聞こえてきそうです。
そう、「後藤夜半」。
誰もが知っている大俳人です。
ではここで質問、好きな夜半の俳句を教えてください。
条件として、もう一つ、例の滝の句以外で教えて下さい。
いやらしい言い回しで大変失礼しました。
でもどうですか、圧倒的に有名な<瀧の上に水現れて落ちにけり>の他に、何句ぐらいぱっと浮かびましたか?
直系の方々は別として、五句ほど浮かべば良い方ではないでしょうか?
不思議なのは俳句をやっている人(読み手も作り手も)のほぼ全員が、後藤夜半を知っているし、瀧の句も知っています。
それなのになぜ他の句がすらすら出て来ないのでしょう?
正解は、今まで気軽に読めるテキストがなかったから、だと僕は思います。
さて、もう一度言いましょう。
今回紹介させていただくのは、精選句集シリーズの後藤夜半句集『破れ傘』!
夜半には面白い句がたくさんあり、滝の句しか知らないのでは大損です。
瀧の上に水現れて落ちにけり
は、確かに名句である事には間違いないけれど、
これは、もっとも夜半らしい俳句というわけではないと思います。
夜半は、芸術や芸能を深く愛し、関西を愛し、その生涯を過ごした俳人です。
僕は滝の句よりもむしろ、
金魚玉天神祭映りそむ
この句の方がずっと夜半らしい俳句と言えると思います。
賑やかな人の動きが金魚玉にすーっと映り、良き大阪の賑わいを感じさせてくれる句です。
さらにこの<そむ>の二文字に、これから続くお祭の期待感がよく出ています。
夜半の俳句の特色の一つである、歴史や芸術への興味や美意識は次の俳句にも現れています。
寶惠駕の髷がつくりと下り立ちぬ
國栖人(くずびと)の面をこがす夜振かな
祀りある四谷稲荷や夏芝居
御車はうしろさがりや賀茂祭
國栖人(くずびと)の面をこがす夜振かな
祀りある四谷稲荷や夏芝居
御車はうしろさがりや賀茂祭
これらの句は一度や二度ではなく、できれば何度も何度も読んでみて欲しい、何も考えずに読むと通り過ぎてしまう恐れのある句ですが、それではもったいない。
読み手がきちんと感じとろうとすれば、味わい深い句である事に気がつくはずです。
次にユーモアの句。
夜半の句に大声を出して笑うような俳句はありませんが、
暖かい可笑しみのある句をたくさん読む事ができます。
これも夜半の特色としてぜひここに記しておきたい点です。
大顔をむけたまふなる寝釈迦かな
見おぼえのある顔をして袋角
又の名のゆうれい草と遊びけり
山上憶良を鹿の顔に見き
着ぶくれしわが生涯に到り着く
見おぼえのある顔をして袋角
又の名のゆうれい草と遊びけり
山上憶良を鹿の顔に見き
着ぶくれしわが生涯に到り着く
どれも爆笑する事はあり得ませんが、何度読み返してもくすっと楽しい気分になります。
それはどこか、炬燵で蜜柑を食べるような幸福感にも似ている気がします。
そして三つ目の特色は、呼吸のような一句の持つリズム。
僕が夜半の俳句に対して一番好きだと感じるのは、
この不思議で魅力的な俳句のリズムです。
繭玉の揺るるあしたもあさつても
その蝶の去り初蝶といふことを
ゆるがせにあるとは見えぬ牡丹の芽
目をつむりても雨見ゆる安居かな
その蝶の去り初蝶といふことを
ゆるがせにあるとは見えぬ牡丹の芽
目をつむりても雨見ゆる安居かな
まるです〜っと息を吸って、また細長く吐く呼吸のような俳句です。
それは僕に真っ白な一本の棒を連想させます。
特に好きな句はこの句。
てのひらにのせてくださる柏餠
「のせてくださる」これはただの間延びではありません。
「のせくれし」なんてのはポンと渡されてあっけないけれど、夜半のこの句は、相手からわたしのてのひらへ、すーっと柏餠が移動している時間を感じます。
この呼吸の使い方は夜半の技量と言って良いでしょう。
僕が夜半の俳句を読んで感じるのは、対象への優しい視線です。
自然に対しても人間に対しても、夜半の俳句を読んでどこかホッとするのは、
夜半が自然を、人間を好きな事が伝わってくるからではないでしょうか。
あなたが一つ、夜半の好きな句を選ぶとすれば、さて、どれでしょうか?
是非この本を読んでみてから選んでみて欲しい。
それはもちろん滝の句でも良いし、そうでなくても良い。
さて、あなたの好きな夜半はどんな夜半だろう?