
雪だるま動かんとして崩れけり
句集の冒頭に置かれた一句だ。
いま、眼前に雪だるまが崩れているのは、きっと、彼が動こうとしてしまったからだ。そう断じた句である。世の中には、取り返しのつかないことがときどきある。そんな真理が読みとれる。
この句、文語が活きている。「雪だるま動こうとして崩れたよ」では、格好がつかない。文語の格調を使っているからこそ、この句は、ファンシーな想像ではなく、真理を見せてくれるのだ。
この句を読んで思い出したテキストが二つある。
ひとつは、高柳重信の句、「冷凍魚/おもはずも跳ね/ひび割れたり」。冷凍されて体がかちこちになった魚がなぜか飛びはねてしまって、着地した時に身を打ったからか、ひび割れてしまった。もちろん、リアルにはあり得ないのだが、自分が飛びはねたことで、自分のからだを損なってしまった魚が、なんともかなしい。「世の中には、取り返しのつかないことがときどきある」という真理を、おかしみとともに感じられる句だ。
もうひとつは、手塚治虫の漫画『火の鳥 未来編』。その名の通り、未来の世界を書いたSFだ。その未来の地球では、地上が汚染されて、人類は地下都市に暮らしている。猿田という世捨て人の博士は、すでに絶滅してしまった動物たちを蘇らせようと、さまざまな動物のクローンを育てることに苦心している。しかしやはり、命を作り出すという壁は厚く、みな、培養液の中を出るとかたちを保てず、溶けて死んでしまうので、保護カプセルのなかでしか生きることができない。猿田は、人型クローンのブラドベリイという青年を息子と呼んでかわいがっていたが、成長して「若きウェルテルの悩み」を読んだ彼は、「自由がほしい」と訴え、とめる博士を説得して、保護カプセルの中から出る。そして、結局、ほかの生き物と同じように、細胞が溶けて、命を落としてしまう。「動かんとして崩れけり」である。
竹岡一郎という俳人は、見えないものを見る力に長けている。雪だるまの句にしても、雪だるまが実際に動いたところを見たわけでは、もちろんないだろう。崩れている雪だるまから、そういう物語を導き出した。そのことで、雪だるまのからだの不格好さも際立つ。あのずんぐりとした体形は、おおよそ動くのには向いてない。首なんて、からだに載っけてあるだけだ。簡略さが、おかしく、かなしい。
冬眠のものの夢凝る虚空かな
冬眠のけものたちが見る夢が、虚空に充満しているというのだ。「凝る」とは、ばらばらのものが集まって固まること。大空の、あの何もないように見えるところには、「冬眠のものの夢」がないまぜになって満ちている。「冬眠のものの夢」と「虚空」が響き合うことで、彼らの夢が虚空のように透き通って美しく、また風が吹き抜けていくような、むなしい感触のものなのだと想像できる。また、虚空も、なにもないように思えるけれど、そうした透明な夢たちがひしめきあっているのだと考えると、「在るようで無い、無いようで在る」という真理が見えてくる。
私たちが見る夢は、たった数時間の出来事だけれど、冬眠している間、彼らはいったい、どんな夢をみているのだろうか。冬眠のけもののからだも、その夢のある虚空も、私にとっては、やはりはるけきもので、それがまさに冬という季節の実感でもある。
いつも夕焼踏切鳴るを覚ゆるは
踏切は、電車が通る時間には常に鳴っているはずなのだけれど、私たちがそれを「覚ゆる」のは、「いつも夕焼」の時間帯だ。いわれてみれば、不思議である。夕焼の時間というのは、一日が終わる感じがして、ふと寂しくなるから、踏切の音にも、心しんみりとするのだろうか。夕焼の電車に乗っているのは、家路につく人々。その人たちの心まで、夕焼けに染み出していくような、そんな切なさを感じる句だ。
虹の根に死者の家ある遠野かな
紀国の谺うるはし黒揚羽
水かけて焚火死なざる釜ヶ崎
紀国の谺うるはし黒揚羽
水かけて焚火死なざる釜ヶ崎
地名を活かした句も面白い。一句目、遠野という土地の霊的なイメージが付されることで、「虹の根に死者の家」があることに、まるで理由があるような気がしてくる。死者の家から立つ虹ならば、なお美しく、なおはかない。虹をより美しく見せるために、他のすべてのことばが奉仕していると見てもいい。二句目、「うるはし」に地への寿ぎがある。「黒揚羽」の黒も、まさにうるわしい。三句目、水をかけてもまたくすぶって炎を立てようとする焚火のたくましさ。「釜ヶ崎」の「釜」が、「焚火」と火のイメージでつながっているところも小粋だ。
俺斃れ明けの切株ひこばゆる
「俺」という人称によって、どんな人物かが、ある程度特定される。「斃れ」ちゃってるし、ちょっとハードボイルドだ。こうした、人称をわざわざ句に詠み込む身ぶりは、演劇的だ。竹岡の句は、練りあげられ、作り上げられているということが、こんなところからも分かる。斃れてしまった「俺」のそばで、明け方、切り株がひこばえる。いったい、どのくらいの時間が経ったのだろうか。数時間かもしれないし、数百年たっているかもしれない。「切株」の年輪が、その長い時間を示唆している。
竹岡は、俳句だけではなく、句集のタイトル『蜂の巣マシンガン』も個性的だ。小川軽舟の「よろしい、それがあなたの美しい人生だ」という帯文に代表されるように、この句集は、竹岡の感受した美に満ちあふれている。それは、一般的な美とは必ずしも接さないかもしれない。しかし、一句一句の端々まで、彼の美意識によって統制された言葉が、まさに「美しく」整列しているさまを眺めていると、象牙から削りあげられた彫刻を見ているように、こころの水面がしずかに澄んでくるのである。
不邪淫戒赫々と蟹群るる音
秋繭を煮て百年や釜の映
夜学生故郷印度の笛吹けり
祭あと河童は川を流れけり
御堂筋銀杏地獄銭地獄
雪女自死の少年連れて北へ
勇魚討たれて海流に歌託しけり
傘さして舟にありけり秋の暮
秋繭を煮て百年や釜の映
夜学生故郷印度の笛吹けり
祭あと河童は川を流れけり
御堂筋銀杏地獄銭地獄
雪女自死の少年連れて北へ
勇魚討たれて海流に歌託しけり
傘さして舟にありけり秋の暮